元プロ野球選手 読売ジャイアンツ の育成投手として活躍した
柴田章吾が「衝撃のアノ人に会ってみた」に出演しました。
柴田章吾は今現在何をしているのでしょうか?
今回はこの柴田章吾は難病と闘い甲子園出場した高校球児の衝撃のアノ人について調べていきます。
柴田章吾は難病と闘った高校球児! もう一つの奇跡とは!?
柴田章吾はプロ野球選手になることが夢でした。
しかし、15歳の時に 「ベーチェット病」 という病名を医師から宣告されました。
この 「ベーチェット病」 は運動してはいけない病気。
病気がつらく、野球をやめて他の仕事につくことも考えたといいます。
しかし、テレビで甲子園の決勝戦 をみて、やはり諦めきれずに
病気が再発しても3年間頑張って、それで野球は終わりにしようと考えました。
そして、 イチローの母校、愛知工業大学名電高等学校に進学して
3年生の夏についに夢の甲子園に出場しました。
そこでやめるつもりでいましたが、 夢の甲子園に出場 したことで、
全国から応援の手紙が届いたことでプロ野球選手を目指す決意をします。
明治大学へ進学した頃には、病気の症状がでなくなっていたといいます。
柴田章吾 難病と闘った高校球児の夢はプロ野球選手!
明治大学でも野球を続けて、プロ野球選手を目指しました。
4年の時に巨人の2軍と練習試合をしたことがありました。
柴田章吾はなんとその試合で3回パーフェクトピッチングをしたというのです。
そこで即日、社会人野球の2つの企業からオファーがありました。
しかし、悩んだ末に巨人の育成契約選手の道を選択し、念願のプロ野球選手になったのです。
プロ野球選手として1軍で活躍することはできませんでしたが、
育成で3年間がんばった後に戦力外通告を受けて引退となりました。
難病から、よくプロ野球選手までがんばりましたね。素晴らしいです。
柴田章吾の経歴やプロフィールは?今現在は?結婚、家族は?
柴田章吾のプロフィールはこちら
出身地 三重県いなべ市
生年月日 1989年4月13日(30歳)
身長 175 cm
体重 80 kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 育成選手ドラフト3位
元プロ野球選手。
小学2年生から野球を始め、6年生の時にボーイズリーグで全国制覇を果たす。
中学3年生の時に難病「ベーチェット病」を発症。
闘病しながら愛知工業大学名電高等学校で野球を続ける
3年生の夏に甲子園に出場
明治大学卒業後、2011年にプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成3位指名を受け、投手として活躍。
現在はアクセンチュア株式会社にて経営/ITコンサルティング業に従事。
アクセンチュア株式会社は、東大・京大生就職ランキング4位の難関企業にも関わらず採用を勝ち取りました。
今の夢は、なんとメジャーリーグ職員になること。
まだまだ野球を追い続ける姿勢は素晴らしいですね。
柴田章吾が結婚している情報は見つかりませんでした。
ネットの声
柴田章吾は甲子園出場後1万人に1人の難病と闘った高校球児として
衝撃のアノ人に会ってみた ! に出演
2019年8月14日(水)19:00~放送回は
楽しみです。
最後までこの記事を読んでいただきましてありがとうございました。