24日 カリスマ英語講師の 「金ピカ先生」 こと佐藤忠志が亡くなったことが判明しました。
全盛期には年収2億円超えたという人が、最後 生活保護を受けていたことに
ネットは騒然としています。
今回はこの「金ピカ先生」佐藤忠志さん死去!について調べていきます。
「金ピカ先生」佐藤忠志さん死去!
こちらが、「金ピカ先生」佐藤忠志さん死去!についての報道です。
予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。
佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。
1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。
2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。
18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。
一世を風靡した代々木ゼミナール予備校英語講師、金ピカ先生が佐藤忠志さんが
自宅で死去したというニュースが飛び込んできました。
年収はピーク時に2億円。晩年は生活保護を受けながら60代で孤独死とは寂しい最後でした。
「金ピカ先生」佐藤忠志さんの経歴やプロフィールは?
「金ピカ先生」佐藤忠志さんのプロフィールはこちら
佐藤 忠志(さとう・ただし)
1951年5月4日
東京都生まれ
慶応大学法学部政治学科卒
筑波大学大学院修了
77年に代々木ゼミナール講師
88年、東進ハイスクールへ移籍
「金ピカ先生」の愛称で知られ、「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。
タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」や
Vシネマ、ドラマに出演。
拓殖大では客員教授も務めた。
2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。
ネットの声
参考書や書籍も出していますので、お世話になったという意見が多いですね。
タレント性もあった希有な存在でした。
ご冥福をお祈りいたします。